痛みの始まり

1998年9月のことだった。私は、むち打ちになった。

怪我をしたいきさつについては,ネットでは一切書きたくない.もう終わったことだし,相手もあることでもあるし、思い出したくもないからだ。
ただ、初めはそれほど大事になるようには思えなかった。
事故そのものが大きくなかったということもあるが、よく言われるようにむちうちとして本当に深刻な症状は、かなり後から出てきたからだ。
だから最初に首のレントゲンを撮ったときは、普通はS字のカーブを描くはずの頚椎がまっすぐにに変形してしまう典型的なむちうちの写真だったにもかかわらず、医師も私も、そんなにひどくなるとは予想もしなかった。
今から思えば大事をとって、あの時入院して絶対安静を守っていればよかったと思う。
でも当時は娘が幼児だったし、私にも小さな子供を抱えた母親として、主婦としてたくさんの仕事があったのでそう簡単に入院するわけにはいかなかった。自宅で安静にしていることもできなかった。知らないということは恐ろしいことで、けがをしたすぐ後に幼稚園の運動会で、走り回ったり、今から思えば大変な無理をしてしまった。後悔先に立たずというが、このページを読んでいる方でもしむちうちで療養中の方がいたら、受傷直後はなるべく安静を守ることをお勧めしたいと思う。むち打ちが後から後遺症が残るかどうか、最初の2週間ほどの手当てで勝負が決まるのだそうだ。

とにかく、事故から1週間は、なんとなく体を支えているやじろべえの重心がおかしいような、妙な浮遊感があったが激しい痛みはやってこなかった。
痛い、と深刻に気がついたのは、むちうちになってから10日目だった。
朝起きると、背中の痛みのあまり全体に亀の甲羅のように緊張してしまっていた。ベッドから起き上がることも難しかった。びっくりして、私はあわててレントゲンを撮った整形外科にいった。

「背中が痛いの?」
先生は気楽そうに、むちうちだからしょうがないよね。安静にしていればそのうち治るよ。
シップ貼っといて。といってシップを何枚か出してくれ、さらに痛み止めの内服薬を出した。
うちで寝ていてね。といってあっさり帰されてしまった。

寝ていても、痛みはちっとも収まらなかった。
この日を始まりに、私は4年近くもの間ひどい疼痛に苦しむことになる。

3日たっても、1週間たっても痛みが収まらないので、もう1件整形外科に行くことにした。
今度は少し大きい病院に行って見た。

むちうちなんです。痛みがひどくて大変なんです助けてください。

と言ってドクターに訴えると、レントゲンを撮らなきゃ。といわれる。

つい最近撮ったばかりなんです。あまりたくさん撮りたくないんです。
頚椎は真っすぐになっていました。ほかに骨に損傷はないと言われました。

ふーん。そんなに大きい事故じゃないんでしょう?と聞かれ、
はい、そんなにひどくなると思いませんでした。と答えると、じゃそんなに心配はいらないでしょう。2、3週間で収まりますよ。むちうちもね、ほとんど3カ月くらいでよくなるから。今痛くてもそんなに心配はいりませんよ。とここでも気楽に言われ、そんなものかと、やはりしっぷをもらって帰されてしまった。

みんなこの痛みをほんとにガマンしてるのだろうか。私にとっては激痛なのだが、誰もわかってくれなかった。でもドクターがたいしたことないと言ってるんだからきっとたいしたことないのだろう、とこの時も私はそう思って、シップを張りながらなんとか家事をこなしていた。
相変わらず背中は鉄板のように硬く、首も徐々にコンクリートのように固まって来ていた。
全く首を回すことができない。カチカチに固まっているので息をするのも苦しい。この症状でホントに軽いむちうちなんだろうか。
疑問に思いながら、1人で不安と戦っていた。
いっそもっと大きな事故の被害者なら、すぐに入院して手厚い治療が受けられただろうに。
後から聞いた話では、むちうちで1番深刻な症状が起きるのは、どちらかというと高速の大きな事故ではなく、低速から中速の小さめの事故なのだそうだ。大きな事故の大きな衝撃のときは、体全体に衝撃がきて大きく体が動く。けれども、中速の事故では、体はそれほど動かないのに、一番重い頭がガクン、と大きく揺れることが多いからだ、と誰かが解説してくれた。真偽のほどはわからないが・・・。
知っていれば、もっと大げさに騒いで何としてでも入院したのにと、後になってから本当に悔やんだものだ。

とにかく、怪我したばかりのこのころの私は、次々と襲ってくる痛みと初めての症状にどうしていいかわからずただ不安に思うだけだった。
 

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