パニック障害発症

受傷から1年以上もたっているのに、さっぱり治らない痛みや不定愁訴を抱えた私は、相変わらずだらだらと日課のように接骨院がよいを続けていた。
何軒も何軒もハシゴをしたあげく冷たくあしらわれた整形外科にはあきらめきっていて、もう通う気にはなれなかったが、とりあえず何かしていないと不安なので、接骨院の牽引とマッサージは続けていたのだ。
                                            choco*choco
このころになると、あまりの痛みや具合の悪さで、いっそ死にたい、と毎日 思いつめるようになっていて、とりわけ朝おきるときの気分の悪さといったら言葉に尽くせないほどだった。
 引きずるように重いからだをベッドからやっと引き剥がして、気分の悪さに泣きながら子供や主人の朝食を作り、送り出すと最低限の家事をしたあとまた寝込んでしまう。毎日に絶望して寝ながらひたすら泣いている。誰かにすがりたくて、電話魔になることもあったし、会う人会う人に、いたいの、どうしたらいいかわからないの、と思いつめて愚痴をこぼしてみたり、今から思い返すと当時の私は典型的なうつ病だった。主訴が痛みだったので、これほど典型的なうつ状態でも、うつ病の病識をもてなかったのだ。

 インターネットでヘルニアやむち打ちの情報を探してみたが、どれも今ひとつヒットする情報はない上に、なぜかサイトを作っている人は、5年、10年と治らない人ばかり。私もこんなに長く苦しまなくてはならないのか、と思うと見るたびに余計気持ちが沈んだ。
街を歩くと、私以外の人はみな、明るく健やかで悩みがなさそうに見える。明るくて健やかな普通の人の人生は、川の向こう岸にあってまぶしく輝いていて、私にはもう2度と行きつけない別の世界のように感じられた。

 痛みのあまり朦朧とした意識で日々を過ごしていたある日、私は明け方に全身の痺れと激しい動悸に襲われた。手足が硬直して麻痺したようになり、唇にいたるまでびりびりとしびれ、心臓がバクバクと動機を打つ。このまま死んでしまうのではないかという激しい発作に、てっきり首のヘルニアが破裂したと思い込んだ私と家族は、救急車を呼んだ。
初めての救急車である。救急隊員と夫でまたも大きな病院のの整形外科に運ばれ、そこでもすぐさまレントゲンとMRIが撮られたが、頚椎7番、胸椎1番にもヘルニアが見つかって、首が左側に即湾してしまっていることが確かめられた。いったいどうして、何一つ過激なことをしていないのに、レントゲンやMRIを撮るたびに首の写真は悪いほうに進行していくのだろう。うんざりする私に、やはりここでも痛みを緩和する目覚しい治療は提案してもらえなかった。オペの対象になるほど大きなヘルニアではないので、リハビリをしてください。お決まりのコメントである。

ただひとつ、この激烈は発作は、首からはなく、自律神経の異常から来る、パニック障害だと診断され、とうとう私は精神科に回されることになった。
パジャマのまま顔も洗わずに病院に運ばれて、車椅子に乗せられたまま、呆然と病院の中を移動している私に、外来の患者さんたちが同情の目を寄せていた。
「不安が強いようですから、抗不安薬と筋弛緩剤、痛み止めと睡眠薬を出しておきますよ。」と、車椅子に座りながら、涙ぐんでいる私に、精神科のドクターはごっそりと薬の束を出してくれた。

なんでこんなにおかしな病気をかかえるほど私の痛みはこじれてしまったのか。
そもそも軽いむちうちのはずだったのに、どうしてこんなに体中おかしくなってしまったのか。わけがわからないまま、その日から、パニック障害という病名で、精神科にも通いつめるようになった。

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