City to Surf    

サンドラのもとに通い始めて、1年近くがたっていた。
オーストラリアは冬を迎えていた。毎年冬のさなかに行われる新聞社のマラソン体会が近づいていた。
摩天楼の立ち並ぶシティーのど真ん中から有名なボンダイビーチまで、およそ14キロのマラソン大会だ。地元の人の大好きなお祭りで、毎年たくさんの人が参加する。
シティーの真ん中から港を望む美しい高級住宅街を抜けて、アップダウンの多い坂道を歩いていく。
もちろん走る人もたくさんいるのだが、最後まで歩くことを目指して小さな子供や、ベビーカーを押して参加する人も多い。

車いすで参加する人もいれば、ウエディングドレス姿とタキシードで参加するカップルもいる。
そのころの私は、もうほとんど痛みもとれて日常生活には支障がないようになっていた。
ただ長く寝たきりだったために、体力が落ちていて何か新しいことをすることや、疲れそうなことに参加することを避ける傾向があった。

この14キロのマラソン大会に参加してみようか。新聞の広告を見て突然思い立った。

そのころパキシルは、40ミリの最大量から30ミリに減薬していた。
体の痛みよりも、自分に自信がないことの方が問題だった。
そうだ、やってみよう。思い切ってエントリーフォームに記入して新聞社に送った。

2002年8月13日。
抜けるような青空が広がる、冬にしてはとても暖かい日だった。
トレーニングウェアに身を包んで、娘とともに会場についた。会場の王立植物園はすでに人でいっぱいだった。受け付けでゼッケンをもらう。番号のついたゼッケンを胸に、午前10時に王立植物園を出発した。

歩き出す初めは不安でいっぱいだった。トレーニングセンターでのリハビリはやっていたけれどこんなに長い距離を続けて歩くのはけがをして以来初めてだった。

普段は車の多い大きなハイウェイは、今日は歩行者天国になっている。たくさんの人と一緒に歩いた。思い思いの仮装や、広告のオブジェを持ち歩く人。友達同士で水着で参加する人。回りの人々を見てるだけで楽しくて、初めの3キロは疲れも忘れて夢中で歩いた。

住宅街までくると、窓から応援の人々が顔を出す。所々にバンドのパフォーマンスもあってパレードに参加しているようだった。
有名なダブルベイと呼ばれる高級住宅街につくと、そこは心臓破りの坂道だった。久しぶりに歩いているので足がふらつく。ジャケットを脱いで腰に巻き、半袖のTシャツ1枚になって汗ばみながら必死に歩いた。上を見上げると、向けような青空。坂の下には真っ青な海。はるか遠くの景色に見とれていると、何とも言えない感激がこみ上げた。

1年前までは、ほとんど一日中寝たきりだった。再びこんな日が来ることは想像ができなかった。また私にも健康な毎日がやってきた。

ビーチまでの最後の坂を下りながら、けがをしてからの長かった4年間の日々を思い出していた。

最後まで歩いて感想の記念碑をもらったとき、涙がとめどもなくこぼれた。
とうとう私は治ったのだ、という思いで胸がいっぱいだった。
体のどこにも痛みがない、健康な当たり前の毎日がとてもいとおしかった。

闘病記オーストラリア編 完

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