中国4千年の歴史にかける

整形外科にはもううんざりするほど通ってみた。接骨院にも行った。針もやれば、カイロにも通い、精神科にも通院している。やるべきことは全部やったように思われて絶望していた私だったが、なんとか海外赴任の前には治したいと、必死に次の策を考えた。
一体どうすればいいのだろう。
考えあぐねていたときに、知人からT女子医大の話を聞いた。生まれつきのひどいアトピーで、なかなか治らなかった彼女の娘が、大学病院付属の東洋医学治療センターの漢方薬で治ったという。そこでは強い関節や筋肉の痛みを訴える膠原病の患者も治療していていい成績を上げているという。耳寄りな話である。そうだ、まだこの手は試していない。
漢方薬があったではないか。中国4千年の歴史である。何かしら不思議な効果があるに違いない。
クリップアート natural breeze

東洋医学とはいっても、T女子医大のその施設はドクターがみんな西洋医学のお医者さんだった。聞くところによると、なかなか根本的解決に繋がらない慢性の病気の治療に対して西洋医学的アプローチに限界を感じて、自ら志して東洋医学の研究を始めた医師が多いという。針の治療室も病院の付属で、ドクターの紹介状のもとに施術が行われる。医師に隠れてこそこそと民間治療に走っているという後ろめたい気持ちにもならず代替療法を受けられるというだけで、ずいぶん安心感が違う。ちっとも治せないくせに、接骨院や民間治療院を目の敵にする整形外科医にうんざりしていた私は、それだけでも十分通う価値があるような気がしていた。行ってみよう。最後の手段、東洋医学だ。
新宿の高層ビルにあるそのセンターは、恐ろしく待たされる普通の大学病院とは違って予約制だった。それだけではなく、初診患者であっても好きな医師を選ぶことが出来る。どうせ見てもらうなら一流の先生にしようと、センターの中でも著書がたくさんあって有名なS医師にすることにした。専門な内科らしいが、かまいやしない。どうせ手術してもらえるわけじゃなし、薬物療法ならいいじゃないか。

1月の末の西新宿は高層ビルの谷間を吹き抜けるビル風でしんしんと寒かった。寒風の中を歩いていると、どうしても痛む首をかばうように猫背になる。化粧をする余裕もなく、背中を丸めて、防寒第一のおばさんくさい姿をした自分がビル街のアーケードに移ると、怪我をする以前、ほんの2年前の自分とのあまりの違いに愕然となった。確実に10年分老けてしまっている。慢性の痛みというものは、これほどに人の姿と心を蝕んでしまうものか。周囲を颯爽と歩くOLやビジネスマンの中で、惨めな自分の姿にうっすらと涙がにじむ。なんとか、なんとかしてこの痛みを治したいと切実に思っていた。


高層ビルの一室の病院は、予約制のせいか思ったよりずっとすいていた。
ボックスの椅子もクッションのいい布製で、大学病院にあるビニールレザー張りの長椅子よりもずっとあたたかな感じがする。次の診察の予約についてもテレビ画面のようなコンピューターで出来るようになっていて、お役所のオフィスのような雰囲気だった。
30分ほど待って自分の名前を呼ばれると、私は診察室のドアを開けた。新しい医師にかかるときにいつも感じる、のどの奥に何かが詰まっているような緊張感を抱えながら診察室に入っていくと、正面のデスクにS医師と看護婦さんがまっすぐにこちらを見ていた。

「こんにちは。どうしました?痛みがとれないの?」
問診表を見ながら尋ねるS医師は、有名なドクターだというのに、そんな感じを微塵もさせない思いのほか温和の感じの男性だった。
「うまく説明できないんです。整形外科の先生は、これくらいのヘルニアでそんなに痛いのはおかしい、といってとりあってくれないんですけど、真綿で首を絞められているような重苦しい痛みが常に付きまとっていて、日常生活もままならないんです。腕を上げ下げするのが苦しくて・・・。」
「ちょっと見てみようか。どんな感じなのか。そこのベッドに寝てくれる?」
言われるままに横たわると、驚いたことにS医師は私の首から肩、背中にかけての筋肉を丁寧に触って長いこと問診をしてくれた。今まで、整形の医師に何人もかかった経験があるが、彼らは患者に障らない。レントゲンやMRIの画像を見るだけで、筋肉に触って柔軟性を確かめたりすることは滅多になかった。この先生は、優しい!!ふっと感激して緊張が解けた私に、長い間かかって、圧痛点を確かめながら、S医師は気の毒そうに言った。
「緊張がひどいねぇ。これだけ筋弛緩剤や抗不安薬を飲んでもまだこんなに緊張しているのか。苦しそうだねぇ。」
「薬はもう何にも効かない気がするんです。長く飲んでいると不安で、漢方薬でなんとかならないかと思ってきました。あと2ヶ月ほどで主人について海外に行かなくてはならないんです。なんとかしてそれまでに治さないと・・。」
「うーん、それは無理かなぁ。漢方薬っていうのは体質をゆっくりと改善する薬だから、治療には長い間かかるんだよ。あと2ヶ月で完治というのは難しいよ。保険ではそんなに長くの薬は出せないし・・。困ったなぁ。海外に行っても、メールで診療して親戚の人に薬をとりにきてもらうとか、そういう方法なら取れるかもしれないから、ちょっとこれからのことは一緒に相談しよう。筋肉の緊張は、針がよく効くから薬のほかに針をやってみようか。」
「・・・・先生は、針を信じていらっしゃるんですか?」
「信じているさ。だから東洋医学の医者なんかやってるんじゃないか。大怪我の後遺症で相当苦しそうな患者さんも、リューマチで痛みのひどい患者さんも、針でよくなったケースはたくさんあるよ。
それから、今あなたの心の中にある心配事やストレスがあったら話してごらん。東洋医学では、部分ではなくて全体で見るんだよ。何故そんな痛みが続いてしまっているのか、どうしてこれほど緊張しているのか、もう少し事情を話してくれるかな。」

そういわれて私は、受傷直後からそれまでのちっとも治らないままどんどんひどくなっていった痛みについて、必死の思いで訥々と話し出した。
目の前のドクターと看護婦さんは、黙ったまま心から気の毒そうな眼差しで聞いてくれた。

「期間が短いからね、出来ることは限られているけど、とりあえず筋肉の異常な緊張をなんとかして取ってあげたい。筋肉の硬直によく効く薬と、漢方薬の精神安定剤を出しておくから。精神科の薬と、そうしたければ両方飲んでもかまわないよ。大丈夫だ、治るよ、がんばろうね。」

こんな風に優しい、暖かな医師の言葉を聞くと、本当に心が和む。それだけで治ったような気になる。
痛みがとれなくても、痛みに心を沿わせてもらえるというだけで治ったような気がするのは、錯覚ではないと思う。この先生が、一生涯付き合わなくてはならない痛みを抱えた膠原病患者の中で特に絶大な人気を誇っているわけがわかるような気がした。

「先生は、わたしの訴えが気のせいだとは思われないんですか?」
「思わないさ。たいしたことないって整形の医師は簡単にいうけど、首だろう?大変だよ。
たとえば顎関節症の患者さんなんか、もともとは関節の数ミリのズレから始まる不定愁訴だろう。それでも大変な不自由を抱えるんだ。僕はあなたの不調や痛みを、大げさだとか、気のせいだとかは思わないよ。苦しかったに違いないと思う。」

民間治療院の医師ではなく、西洋医学の医師の下で、これほどに優しい言葉と診療を受けたのは初めてだった。感激で涙ぐんだ私に、S医師は漢方薬の処方箋と針の治療室への紹介状を書いてくれた。何一つ目覚しい治療効果がある特効薬にはあたらなかったが、この先生の優しさだけで、今日この日この病院には来た甲斐があったと思った。海外赴任に行くにあたって、いつ相談のメールを寄越してもかまわないといって、個人のメールアドレスを教えてもらった。こんな親切も初めてだった。

大丈夫だ。がんばろうね。

診察室を出ても、S医師の優しい言葉は私の心の中でこだましてた。

結論から言うと、その日にもらった漢方薬は、出国までの2ヶ月ほど飲んだだけでは目覚しい効果は現れなかった。針の治療室の先生も、皆とても腕のいい感じのいい先生だったが、やはり痛みが完治するまでにはいたらなかった。
けれど、最後に訪れたこの病院で、私は夫の海外赴任についてオーストラリアに行ってみる勇気をもらったような気がする。何一つ根拠はないけれど、いつか癒されるような気がしたのだ。

一筋の希望を持たせてくれた、というべきだろうか。

このS医師の一言のおかげで思い切ってオーストラリアに来て、そこで出会ったドクターの下で寛快に導かれたのだから、S医師のあの時の優しさは私にとって、命の恩人とでも言うべき貴重なものだったのだが、もちろんそのときの私には知る由もなかった。
 
闘病記日本編完 


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