Drサンドラとの出会い

オーストラリアに来て半年あまり。2000年、9月のことだった。

ある日、私はとうとう、子供のスイミングスクールのレッスンを見学中に、あまりの痛みに耐えかねて、過呼吸と筋肉の痙攣発作を起こして、そばにいた職員の手でそこから一番近くにあったメディカルセンターに運ばれた。
自分が発作を起こして倒れる感覚をを、スローモーションのように覚えている。
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気がつくと、私は病室のベッドに点滴をしたまま寝かされていた。
青い瞳の初老の女性が覗き込んでいた。

「落ち着いたみたいね。もう話せるかしら・・。私の名前は、Drサンドラ・スターレイ。
ここのクリニックのGPです。あなたは英語が話せるの?名前を言ってみて?」

「はい。エリーです。」緊張していて、のどがからからに渇いていた。

「エリー、今自分がどういう状況だかわかっているのかしら?」

「はい。」

「あなたは、この近くのスポーツセンターで倒れて、このクリニックに運ばれてきたの。
筋肉が自分の意思とは関係なく勝手に動いたまま硬直する発作を起こしてしまったの。
ここにきたときは首と顔がねじれてしまっていたわ。
覚えてる?」

そうだった。ふいに首が左側にむけて、誰かの手で引っ張られるようにぐいっとねじ曲がってしまい、驚きと恐怖のあまり過呼吸を起こしたのだ。自分の体に起こった突然の異常事態に、恐怖で心臓がバクバクし、意識が遠のいた。このまま死んでしまうのではないかと思うほど、苦しい発作だった。

「あなたの起こした筋肉の発作は、ジストニア、と呼ばれる症状だと思うのだけど。これは脳の障害なのよ。ある種の薬の副作用で起きることもあるの。
あなたは何か、精神科で出たお薬をのんでいるんじゃないかしら?」

「抗不安剤と、筋弛緩剤と、睡眠薬と、痛み止めを精神科でもらって飲んでいます。」

「そんなにたくさん・・・。ちょっと見せてみて?」

ドクターは、寝ている私に遠慮しながらハンドバッグの中を探り、程なく化粧ポーチいっぱいに入った薬の束を見つけた。そして錠剤に刻印されたマークを頼りに、傍らのデスクにあるコンピューターで一つ一つ成分を検索していった。

「全部ベンゾジアゼピン系の薬じゃないの・・・。エリー、この薬は、ベンゾジアゼピン、といってそれぞれ商品名も薬の用途も違うけれど、本来全部同じ種類の薬なの。同じ薬ばかりこんなに漫然と大量に飲んだら依存症になってしまうわ。あなたのオリジナルの病気は知らないけれど、今確実に言えることは、あなたがベンゾジアゼピン系の薬の薬物中毒になっていることよ。なんとかしてこの薬は減らさなければ。こんなにたくさんの薬、誰が何のために処方したの?あなたは、どこがどういう風に悪いの?」

「日本のドクターが処方したんです。半年前にこの国に夫の仕事できました。日本から1年分くらい薬を持ってきたので。鞭打ちの後遺症で、頚椎ヘルニアがあっていつも痛いので、この薬が出されたんです。」

「24時間いたいの?受傷してどれくらい?そんなにヘルニアがひどいの?」

「レントゲンやMRIではそんなに大きくないといわれたんですけど。
でも全然直らなくてもう3年くらい痛いんです。このごろ余計にひどくなりました。」

「3年!3年間全然良くならなくて、痛み止めや筋弛緩剤ばかり漫然と飲んでいたの?
だめよ、それじゃ。ちゃんと治療しなくては。処方も治療もなってないわ。経過を話して御覧なさい。」

そういわれて、私は3年前からの経過を少しずつこの初対面のドクターに話し始めた。
昼休みのせいか、クリニックにはほかに患者は一人もいなかった。覗き込んで熱心に話を聞いているドクターは、青い瞳がとても思いやりのふかそうな人だった。
うまく頭が回らなくて、英語で経過を話すのはとても難しく、訥々としか言葉にできなかった。日本で何年もの間、整形外科で不定愁訴として相手にされず、苦しみぬいてきたことを話していると、そのときの心の痛みが戻ってきて、激しく気持ちが動揺した。
知らないうちに、私ははらはらと涙をこぼしていた。

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