そもそもの発端

その日、Drサンドラとの出会いから3年半ほど前のことだった。
私は事故で、頚椎を損傷した。いわゆる鞭打ちだった。

背中がずきずきと痛み、頭が重く、首がコンクリートのように固まる、苦しい症状が続いた。
今にして思えば、思い切って入院をして安静にすればよかったと思うのだが、当時4歳だった小さな娘の世話は誰にも頼めなかったため、吐き気や痛みを戦いながら、通常の家事をこなし続けて無理を重ねたため、
痛みは月日を重ねるほどにひどくなってしまい、何をしても治らなかった。

整形外科での治療は、牽引をしたり、電気をかけたりと月並みなもので、正直気休めほどにしかならなかった。半年ほどたったときにはますますひどくなり、MRIをとったところ、後遺症で頚椎ヘルニアを起こしていることを知らされた。

それまで健康だった自分の体に、レントゲンにはっきりと移る、治らない障害を抱えて
しまったのはとても精神的にショックなことだった。

あまりの痛みに耐えかねて、何度もこれは手術できないんですか、と整形外科のドクターに尋ねたのだけれど、
「首は危ないから出来ないよ。よっぽど追い詰められないと。握力が10キロを着るとか、まともに歩けなくなるとかじゃない限り、保存療法しかないよ。」
とのことで、あまり相手にされなかった。

そのころには痛みだけではなくて、手足の痺れや、脱力感など、自立神経失調障害も起こしていて、体調は最悪で、娘の小学校入学式の前後に、とうとう過呼吸の発作を起こして救急車で運ばれるほど悪くなってしまった。

過呼吸を起こしたのははじめてだった。心臓がバクバクし、呼吸が荒くなり、手足がしびれる。このまま死ぬのではないかというほどの恐怖にかられて、初めて乗った救急社の中で私は泣きじゃくっていた。

運ばれた先の病院でも、頚椎ヘルニアの既往症を聞くとすぐにレントゲンとMRIが採られたが、手術の対象になるほど大きくない、根気よくリハビリするしかないといわれ、すぐに心療内科に回された。

首の痛みや、一人娘が小学校入学をして生活が急に変わったことなどのストレスからくるパニック障害だろう、との判断で、抗不安剤や、睡眠薬、痛み止め、筋弛緩剤が処方された。

その日から、シドニーでのDrサンドラとの出会いまで、私は実に1年半もの間、この4点セットの薬を飲むことになった。

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