うつ病と診断される

エリー、今までの経過から判断すると、あなたは慢性疼痛症障害からくる、身体性うつ病を発症しているわ。
あなたが今、痛いと感じているのは首だけれど、悪いのは本当は首ではなくて、これは脳の病気なの。
脳の中の化学物質が変調をおこしていて、痛みを抑えるホルモンが枯渇してしまっているので、脳が痛みを記憶してしまっているの。
よく、大きな手術の後で、切断してなくなってしまったはずの足がまだ痛む、という障害を聞いたことがないかしら?
あの障害と少し似通っているのよ。痛んでいるのは、首にある神経ではなくて、脳の中の痛みを痛みとして認知する神経システムが失調しているからなの。
今あなたの脳の中でおきていることは、うつ病とほぼ同じなの。

エリー、あなたは今、精神科の病気にかかっているのよ。

サンドラは、ゆっくりとした英語で、私にわかりやすいように、脳の中の化学物質が代謝障害を起こしている様子を図に描いて説明してくれた。

(脳内化学物質代謝障害の図と説明について知りたい方はこちらのリンクをご覧ください。
Dr林の心と脳の相談室 悲しみの舞台裏  

はじめて聞く説明ばかりだった。

ドクターサンドラによると、精神的なストレスと、肉体的なストレス、すなわち心の痛みと体の痛みは脳内でストレスを処理するシステムが同じなのだという。
長く続く、慢性的な痛みは精神的なストレスと同じように脳を蝕む。慢性の痛みというストレスにさらされると、ストレスを処理するためのホルモンが脳の中でだんだん枯渇していってしまい、それ以上のストレスに太刀打ちできず処理しきれなくなる。そうしてどんどん抑うつ状態に陥り、精神的な悩みからうつ病になった人と同じようなメカニズムで、だんだん心の病であるうつ病と同じような脳の状態に変化していく。
体の怪我は本来なら、日々治っていかないとおかしいのに、痛みを受け止めるホルモンのほうが減ってきてしまうので、少しの痛みでも激痛のように感じてしまったり、痛みではない刺激まで痛みとして認知してしまったりする障害が起こる。
また、大きな怪我をすると、脳は体を少しでも安静に保つため、うつ状態にして動かないように守る働きも同時に持っていので、大きな怪我や手術のあと、人はうつ病を発症しやすいのだという。

「心配しなくていいわ。私はこの病気の治療はとても得意なの。
私の母が、帯状疱疹の後に神経痛になって、その後この慢性疼痛障害を発症したのよ。もう何十年も前だけれど、あまりの痛みにとうとう神経を切除する手術を受けたのに、それでもまだ痛みが治らなくて、外科医からはさじを投げられたの。
私は母を引き取って、神経がない部分がまだ痛む、ということはこれは脳の病気なんだ、と判断してから試行錯誤で治療したの。いろいろなお薬を試したのだけれど、一番はっきりと効果が出たのは抗鬱薬だったの。当時より今はいい薬が出ているし、治療方法も確立されてきているから、きっとよくなるわ。あなたは治るのよ。」

脳の病気、といわれて私はすぐには納得できなかった。
痛いのは確かに首や、顎や、顔や口の中なのだ。このドクターも、私に気の持ちようだといいたいのだろうか。

「私が精神的に弱いから痛い、とおっしゃっているんですか?心が弱ってうつ病だから痛みを想像しているのだと・・・。」

「そうじゃないわ。これは純粋に化学物質の変調による病気で、痛いのはあなたのせいじゃない。薬でしか治療できない。気の持ちようでは決して治らない。今までよく我慢したわね。ひとりでここまで耐えてきて、あなたは偉いわ。」

今までよく我慢していたわね。あなたは偉いわ。
それまでの人生のなかで、こんなにあたたかく心に染みわたる言葉を聴いた覚えがあっただろうか。

むち打ちをきっかけにして、果てしない慢性の痛みに悩まされて、4年近くの歳月がたっていた。本当になおるのだろうか。日本では、整形外科のドクターにどんなに訴えても、いい加減うるさがられて、不定愁訴扱いしかされなかった。医療関係者からは、認めてもらえない痛みだとあきらめきっていた。異国の、この初対面のドクターの思いやりにあふれた言葉が、希望の鐘のように私の心を打った。放心状態で涙をこぼしている私に、ドクターはサンプルの薬をわたしてくれた。

アロパックス。日本名パキシル。

「この薬は、SSRIといって、抗鬱剤の一種よ。SSRIのなかでは一番不安を抑える作用が強いお薬なのだけれど、今痛みでとても不安がっているあなたにはよくあっていると思うの。
抗鬱薬は飲み始めてから2週間が勝負なの。
2週間、副作用に負けずに飲み続けられるかがポイントだから、多少の副作用があっても
飲んでみて?なにかとても我慢できないようなことが起こったら、いつでも電話をして頂戴。明日の朝から、飲み始めてね。
それから、ベンゾジアゼピン系の薬は減らしていきます。まずは日中の抗不安薬は飲まないで頂戴。ベンゾジアゼピン系の薬はね、慢性疼痛障害には効果より害のほうが大きいといわれているし、鎮痛薬も効果がないからやめるべきよ。禁断症状が起きてしまうかもしれないけれど、乗り越えましょうね。クリニックにはいつでも電話をしていいから。」

テキパキと支持すると、ドクターは治療のためのプログラムを書いて私のハンドバッグにしまってくれた。そして、ずっとベッドから呆然と彼女を見つめていた私の手を優しく握り締めて抱き寄せ、背中をマッサージしてくれた。

外国式の暖かいスキンシップが、しみじみと嬉しかった。

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