リハビリの日々

40ミリのパキシルを飲み始めて2週間。

「エリー、見違えるように明るくなったわね。あなたはとてもきれいな人だったのね、
ジストニアで運ばれてきたときと比べると別人のようよ。
今日、フィジオセラピスト(理学療法士)に紹介状を書いておいたの。
もともと脊椎の怪我がきっかけだったのだから、体のリハビリもちゃんとして筋肉をつけていかないとこの病気は克服できないわ。大分体力が戻ったようだから、運動療法をしましょう。その前に、頚椎の負担を軽くするコルセットを注文したいと思うのだけれど、どう思う?」

と、カタログを見せてくれた。

西ドイツ製のそのコルセットは、一見するとちょうど女性の下着のボディスーツのような形をしている。よくみると肩甲骨の下でたすきのようになっていて、腕を少しコルセットの力で持ち上げてくれて首にかかる腕の重みを軽減するようになっている。

「あなたがしきりに、腕が重くて苦しい、首が痛い、といっていたので探していたの。やっと見つけたわ。」
カタログを見せながら、Drサンドラは満足そうな笑顔を見せた。

「ありがとう、ドクター。とても嬉しいです。注文してください。」と答えながら、私は思わず涙ぐんでしまった。

実は、日本にいたとき、この形のコルセットがとても欲しくて、整形外科の先生に頼んだのだが、まったく理解してもらえず、3年間というもの手に入らなかった。

熊本大学の整形外科の教授が考案した、KSバンド、というやはり同じような発想のコルセットが日本にもあった。こちらのほうは、形がブラジャーに似ていてもう少し軽量タイプ。、肩甲骨を持ち上げて腕の重みを改善するようになっている。
当時から腕が重くて首が苦しくて仕方なかった私は、雑誌でそのコルセットが鞭打ちの後遺症のその手の症状にとてもよく効くという記事を見て、熊本大学まで問い合わせの電話をしたのだ。

電話で、「熊本までいらして大学病院の診察を受けてください。」といわれて、
「幼稚園児がいるんです。体力的にも、ぐったりしていてとても飛行機には乗れる状態にありません。関東圏で手に入らないのですか?」と食い下がったのだが、

「熊本大学の医局出身で、このコルセットをわかっている先生なら処方してくださると思うんですけど。理解のない先生だとちょっと・・・・。皆さん飛行機でこちらの研究室まで治療にみえますよ。整形外科出入りの装具屋さんを通じれば注文自体はできると思うので、お近くの病院で頼んで見られたらいかがですか?」

といわれ、何軒かの整形外科を回ったのだが、口々に、
「僕はそれ使ったことない。」「悪いけど興味ないから。」「胸を大きく見せたいわけ?いまさら・・・」
など、まったく理解を示してもらえなかった。

使い方の難しい抗がん剤ならともかく、たかがコルセットひとつ、患者が欲しいといえば注文してくれればいいのに、どうしてこう、お医者さんというのは頑固でプライドばかり高くてつきあいずらいのだろう、なぜこの人たちはドクターなのに、こんなに人の痛みに同情がないのだろう、とつくづく日本では整形外科のドクターの不親切を恨んでいたのだ。

私の、尽きることのない愚痴のような不定愁訴に耳を傾けて、少しでも体が楽になるようなコルセットを探してくれたサンドラの優しさが嬉しかった。
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フィジオセラピー

私が抱えていた病気について、診断をして抗鬱剤をを処方してくれただけでなく
Dr サンドラはフィジオセラピスト(日本語で言う理学療法士)に紹介状を書いてくれた。フィジオセラピストは、日本式にいうと整形外科であつかう疾患一般のリハビリを受け持つ専門家で、専門のカレッジを出て国家資格をとり、独立開業しているか、大きな病院のなかのリハビリコーナーに勤務している。

サンドラから渡された紹介状の住所を頼りにセラピストのところに行くと、そこは市民スポーツセンターの1角で、治療室はプールの隣にあった。

「ハーイエリー。僕の名前はベンジャミン。ベンでいいよ。
ドクターから聞いてる。今日から君のリハビリをするからね。
まずはその診療台に横になってごらん。」

30歳くらいだろうか。まだ若い、とてもハンサムなチャイニーズのセラピストだ。

ベンは私を小さな治療のためのベッドに寝かせると、
ゆっくりと頭首肩そして背中の筋肉を確かめるて私にいくつかの柔軟体操をさせた。

「ずいぶん筋肉が硬いなあ。けがをして以来全然運動していないんだね。これから君が元の健康を取り戻すためには、リハビリと運動しかないよ。僕と一緒に頑張ろう」。

と言って、リハビリのメニューを組んでくれた。

週に3回のスイミング。泳ぎが終わった後週に1度は、ベンのところに来て筋肉のストレッチとマッサージを行う。それが基本的なメニューだった。

オーストラリアでは理学療法士はみなこのように、独立開業してクリニックを構えているけれど、そのクリニックはほとんどスポーツクラブのそばにある。
患者さんがスポーツクラブの施設でスポーツメニューのリハビリをした後疲れを取るためのマッサージやストレッチを行ったり、患者さんのために独特な柔軟プログラムを作ったりするためだ。この開業方法はとても合理的だと思った。
リハビリ、といっても日本のように、治療のための高価で先進的な機械はあまりない。
この国で筋肉や関節のリハビリ、といえば人の手によるマッサージと自分でやる運動が主体だ。

呼吸を調えながら柔軟体操をした後、伸ばした時に痛かった筋肉をマッサージしてもらう。そしてもう1度伸ばしてみる。たっぷり1時間、ストレッチとマッサージを根気よく繰り返す。
その方法でだんだんと筋肉や関節の可動域を広げていくのだ。
マッサージ、ストレッチ、またマッサージ、ストレッチ。
ひたすら自分の体の、萎縮して固まってしまっている筋肉を少しずつ活性化する治療が続く。1時間、つききりで治療をしてもらって、40ドル(日本円で2800円くらい)。加入している民間の医療保険で、マッサージや針、理学療法からカイロプラクティックまで、1回30ドルの費用カバーされるので、さほど負担にはならない。
この国は国民健康保険のメディケア制度が充実しているので、民間の医療保険には加入していない人も多いのだが、私たち外国人の場合は国民健康保険を持っていないので、
ほぼ全員が民間の医療保険に入っている。
リハビリが保障されることにはあまり注目していなかったのだが、そんなに悪くない内容の保険に入っておいて本当によかった、と思った。

最初は運動し慣れていなかったので週3回のスイミングと柔軟体操はかなりきつかった。
でもドクターとセラピストに励まされながら、私は絶対によくなるんだ、という気持ちで必死に行ったリハビリで半年後にはそれまで考えられなかったほど体が動くようになった。

体力もついて、それまで這い上がるように起きてきて、最低限の家事をするのがやっとだったのが、だんだん朝早く起きる規則正しい生活ができるようになり、が少しずつ外に出られるようになって、人づきあいができるようになっていった。

引きこもってばかりの毎日から、次第にオーストラリアの自然環境が楽しめるようになっていった。

リハビリを始めてから半年後。何年ぶりかで、海に潜った。ホリデーを利用して、家族でさんご礁の島に旅行に行ったのだ。
色とりどりの熱帯魚をゴーグル越しにみとめながら、、自分の人生がまた、光をとりもどしていくのがわかった。
もうこの先一生、痛みや痺れとともに過ごし、楽しく健康な毎日など来ないのだ、とあきらめていた日々を思うと、感激でいっぱいだった。

だんだんと異常な痛みから解放されて、またごく普通の主婦としての当たり前の日常が戻ってきた。

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